ビジネスの流儀 第4回――団塊マーケティングの終焉

最近、団塊世代の市場について意見を求められることが多い。例の「2007年問題」が近づいているからだ。
昨年、堺屋太一氏は『文藝春秋』に「団塊の世代『最高の十年』が始まる」という文章を寄稿し、団塊たちに餞(はなむけ)の言葉を送ったが、その『文藝春秋』が、今年の6月号では「衝撃予測 10年後の『団塊』」という記事で「最高の十年の後」に来る失望の未来を描き出した。「はしゃぎすぎた季節の後」にはやはり冬が来るらしい。

さて、団塊世代のマーケティングには一服感がある。「団塊世代を狙え!」のようなビジネス書が書店にずらりと並んだのは4〜5年前のことだ。「その気になった」企業がいかにもの商品やサービスを売り出してみたものの、そっぽを向かれて躓いたりもした。

その反省から出てきたのは、①団塊世代は、「団塊」という言葉とは裏腹にもはや「大きなかたまり」ではなく、多様な個の集積である、②彼らはマスマーケティングのシャワーを浴び続けた結果、べらぼうな商品知識を持つやっかいな客になった、③なぜか彼らはいつまでも自分を老人予備軍として認めないのでシニア向けマーケティングが通用しない、といった認識である。

いずれもまっとうな認識だ。「団塊世代マーケティング」にトライするなら、ターゲティングやらセグメンテーションやらの手垢まみれのセオリーを捨てるところから始めるべきだろう。なぜなら、団塊世代自体がもうその手のマス扱いを卒業しているからだ。

私は1952年生まれなので、団塊世代の弟分にあたる。このポジションから兄貴や姉貴たちの背中をずっと見てきたが、彼らの最大の特徴はリクツっぽいことである。政治でも経済でも消費でも恋愛でも、あらゆる場面で彼らはリクツを持ち出し、リクツで戦い、リクツに疲弊してきた。

自分がリクツに強いと任じているために、リクツで説き伏せられるとやすやすと城を明け渡す傾向もある。だから、彼らは緻密なマーケティングで武装した付加価値商品(リクツのある商品)をつぎつぎに購入してきた。
そんな彼ら(特に男性)は人生の後半にさしかかって、自身の半身だと思い込んできたカイシャから厳しいリクツを言い渡された。ポストバブルの90年代、かつては生涯添い遂げてくれと言った相手が「もうそろそろ別れましょうよ」と言い出したのだ。
リクツの分かる男たちは黙って離縁状にサインした。そうしなかった男たちも黙して反撃しなかった。

マス扱いを卒業し、リクツにも裏切られた団塊の世代は、もう二度と塊となって市場を形成することはない。彼らは、後は一人で(あるいは気の合う誰かと)、恐らく衆を恃むことなくばらばらに穏やかに残りの人生を歩むに違いない。私は私、あんたはあんた、だ。

60歳を迎えた団塊世代は、少し弱含みだがそれなりに威厳のある成熟に向かうだろうし、そのような「オトナの自立」に役立つものになら金を使うだろう。「最高の十年」か暗い老後か、個人差はあるにしても、団塊世代はもう一度新しい消費スタイルを創り出すに違いないし、商売の機はそこにある。

(フジサンケイビジネスアイ 2006/06/28)