ジーコ・ジャパンはどんなコンセプトでW杯ドイツ大会を戦うのだろうか?
前任のトルシエには何かコンセプトらしきものがあった。彼は当時の最新のサッカー理論を注入しながら、規律(あるいは「俺のルール」)でチームを引っ張った。また、前回W杯の悲願は「一次リーグ突破」というとてもシンプルなものだった。
一方、ジーコ・ジャパンはどうか?
ジーコの信条は信頼と自由であるらしい。監督と選手、選手同士が信頼しあい、それぞれが自分自身の判断でパスを回し、ドリブルで切り込み、シュートを放つべし! しかし、これはコンセプトにしては一般的すぎる。また、前回の悲願である一次リーグ突破は、今回は半ば「お約束」である。
コンセプトとは辞書的には「概念」である。ただし、たんなる概念ではなく、「事業活動を主導する特徴ある考え方」というような意味で使う。また重要なのは、コンセプトがアイデアではないということだ。たとえ思いつきから始まったとしても、それを繰り返しの使用に耐えうる「仕組概念」へと高めたものがコンセプトである。
コンセプトがしっかり座った会社は顧客にも社員にも分かりやすいから、成長への好循環に入りやすい。製品・サービスもブランドも輪郭がはっきりして印象に残る。ただ下手をすると、コンセプトが先行して事業や経営の実際のレベルが追いつかない「コンセプト倒れ」という事態も発生する。本当にコンセプチュアルであるためには、それを実現する剛腕も不可欠なのである。
反論を覚悟で言えば、日本で今、もっともコンセプチュアルな企業はソフトバンクではないだろうか。Yahoo ! BBの攻勢で日本を世界有数のブロードバンド普及国に押し上げる一翼を担い、あれよという間に日本テレコムとボーダフォンの獲得で固定・携帯電話の両インフラを押さえてしまった。「世界一のインフラ提供者になる」という孫社長のメッセージは事業全体に貫かれている印象がある。優れたコンセプトは「これなら勝てる(かもしれない)!」という成功イメージとそれを実現するための施策の連鎖をもたらすのだ。
さて、翻って日本代表チームはどうか?
ジーコはコンセプトを奉じるタイプの人間ではないように見える。コンセプトなんてものはW杯のハイエンドな場では弊害をもたらすと考えている節もある。
ここは価値観の別れ目であろう。我らの代表監督がConceive(構想)しているのは、戦場(市場)におけるコンセプト間の闘争ではなく、競技場(舞台)における自由な人間同士の競い合いなのである。彼のやり方を「放任」だとする意見もあるが、「個」を重んじる新しい組織論として見ることもできる。ここはひとつ腹を決めて、ジーコ・スタイルを楽しみたい。
(フジサンケイビジネスアイ 2006/06/07)
