数年前に田坂広志さんとお喋りをしていた時、田坂さんがこんな話をしてくれた。
「トップの振る舞いは本人が考えているよりずっと重いんですよ。例えば、命を受けた社員が精魂込めた企画を社長に説明している場面を考えてみてください。プレゼンを聞いた社長が『いいね』と言った。でも、その時の仕草や表情が『いいね』という言葉と裏腹にどこか覚めたものであったら、その社員は大いに悩むのではないでしょうか。『こんなものでいいと思ってんのか!』と一喝された方がよほど救われる、ってね」
これが、グレゴリー・ベイトソン言うところのダブルバインド(二重拘束)である。
ベイトソンは、文化人類学者として出発したが、その革新的な方法論が受け入れられず、転じて第二次大戦後のサイバネティクス・ムーブメントの渦中に身を置き、心理学、精神医学、生物学などを広く渉猟して、独特な知のスタイルを創り出した。
ベイトソンが成し遂げようとしたのは、人間の学習と人類の進化をひとつの大きなプロセス(「ストカスティックなプロセス」と呼ばれている)として統合的に捉える視点の確立であったらしい。
「らしい」というのはいい加減なもの言いだが、没後に刊行された『精神と自然』がこの広大な構想を素晴らしくエレガントに描き出しているものの、その全貌がなかなか掴み難いからだ。
ともあれ、この思索の途上で、ダブルバインドという概念が生み出された。
ダブルバインドとは、ふたつの矛盾するメッセージ(禁止命令)の間に縛り付けられてがんじがらめになってしまうという事態を指している。
「何々をするな(あるいは何々をしろ)、さもなければあなたを罰する」という第一の禁止命令がまず発せられ、あわせて、それと矛盾する第二の禁止命令が発せられる。
しかも、始末の悪いことに、第二の命令の方はポーズ、ジェスチャー、声の調子、意味深長な動作などで表現されるので、メッセージを受信した方は、メッセージ間の矛盾を突くことができない。
さらに悪いことに、第三の命令まで発せられることもあって、それは困りきった犠牲者が困惑の現場から逃げ出すのを禁じるのだ。
ベイトソンは、分裂症をダブルバインドによって説明しようとした。
母親が男の子に向かって、こう言っている。
「あなたが自分でよく考えて決めなさい。お母さんのことは忘れて、自分で考えるのよ、分かった?」と、言いながら、母親の吊り上った目は、無言でこう語っている。
「私が何をしてほしいか、あなたはよーく分かってるでしょ?」
ダブルバインドな状況は、実はこのように、日常的な場面に頻出する。
母親の第二の命令は無言のメッセージである。
しかも「かたち」がないばかりではなく、言語化されたメッセージとはレベル(論理階型)の異なるメタメッセージである。ベイトソンは、こうして、コミュニケーションの隠れた主役、コンテクスト(文脈)に行き当たったのだ。
