昨年12月8日は、ジョン・レノンが殺されて25年目の命日だった。
僕自身は、その日のことをよく覚えていない。後年、私が編集担当に就いて『苺畑の午前五時』という小説を書いてもらった松村雄策さんは、こんな風にその日のことを書いている。
TVでも新聞でも、ジョン・レノンが射殺されたといっているし、ニュー・ヨークの今泉ひろしからも、電話がかかってきた。
しかし、ジョン・レノンが射殺されたというのはどういうことなのかというのが、解らないのだ。それは、つまり、どういう事なのだろうか。 (「ロッキング・オン」81年2月号)
ポール・マッカートニーがいなければビートルズはありえなかったが、ジョン・レノンがいなければ、ビートルズだけでなく、20世紀後半のあらゆる文化に影響を及ぼしたロックという独特な時代精神は生まれなかっただろう。
さらに言えば、ジョンがいなければ、彼の生き方に心を動かされて、彼のように生きようとする大量の若者たちも出てこなかったと思う。
団塊の世代やベビーブーマーだけではない。その後に続く世代にもジョンへの心酔者は少なくない。
もちろん、これらの少年少女のうちで名を成したのは少数だろう。しかし、ほとんどの無名の人々も、世界中で、ジョンの信条をそれぞれのやり方で受け継いで生きている。
このように、人の生き方を深くインスパイアしたロックンローラーは他にいない。
プレスリーが好きでもああなりたいと思う人はいないし、クラプトンに憧れてもギターのトレーニング以上のことをする人はいない。
たぶん、ジョン・レノンだけが特別な存在なのではないか、と思う。
僕自身は、1971年の夏、吉祥寺のレコード屋で買った『ジョンの魂』を聴いて総毛立った。
このアルバムの中で、ジョンは、自分の精神を傷つけ、縛り付け、あるいは麻痺させてきたものをひとつずつ採り上げ、歌うことで、捨てた。
GODという歌では、I don't believe in〜と15回繰り返し、最後のフレーズで"I don't believe in Beatles"とやらかした。
このレベルのことをぴしっとやったミュージシャンも、思想家もめったにいない。
