11月11日にドラッカーが95歳で亡くなった。
末席でもなんでもないが、ご冥福を祈りたい。
少し前に日経の「私の履歴書」で近況を述べていたが、クレアモント大学の講義を続けながら、明王朝の中国美術を研究し、シェークスピア全集やバルザックの『人間喜劇』を読み直したりしているというので驚いた。このクラスの人たちは最後の最後まで知的好奇心を失わないものらしい。
30代まで経営書を読む習慣も必要もなかったので、最初に接したドラッカーは『未来企業』(1992)である。この連載の初回で、ライシュの『ワーク・オブ・ネーションズ』に触れたが、読んだのはほぼ同じ時期だ。
『未来企業』にはこんな一節がある。
「われわれは今、新しい組織に関しては、ちょうどオーエンの段階にある。われわれは、知識に関する生産性や、産出や、成果について、ようやく問い始めたところである。われわれはまだ、測定することはできない。大まかなところを判断することすらできない」
この一節に私は大いに勇気付けられた。
そうか、まだ、分かっていないことがたくさんあるのか。だったら、この自分にもチャンスがあるかもしれない、と。
10年ほど編集という仕事に携わっていたので、「知識」というものの手触りや振る舞いには見当がついていたから、自分のこれからの仕事はこっちで行こうと思ったのだ。
なんとも、ずうずうしい話である。
だいぶ後になって『現代の経営』を読んだ。
初版は1954年で、『会社という概念』(1946)に続く二冊目のマネジメントの著作である。というよりは、この二冊によって、この世に「マネジメント」がはっきりした観念として登場したのである。
読んで驚愕したのは、半世紀前に書かれた(多少の改訂はあるのだろうが)この著作が、まったく古くなっていないことだ。
ご本人は、企業を全体として見た最初の本であると書いているが、その「最初の本」がここまで高いレベルで書かれたのは恐ろしいことである。
「事業の目的として有効な定義はただ一つである。それは顧客を創造することである」
この簡潔で完璧な定義をめぐって、その後の50年にわたるマーケティングとイノベーションの歴史があり、しかも、この定義を超えるものを生み出していない、と感じるのは私だけだろうか?
ドラッカーは人間くさい経営学者である。もう少し正確に言うと、企業を機械のようには見なさないという意味で人間くさい経営学者である。
だからこそ、マネジメントの重要性を指摘し、それも製造や財務や人事などの個別分野ではなく、「目標」という人間行動の根幹に関わるマネジメントを重視したのだろう。
機械を使って効率よくモノを作り出し、円滑な資金繰りを行うのもマネジメントだが、企業というきわめて不安定な乗物を従業員と一緒にやっさもっさしながら操っていくには、目標というものをマネージしなきゃいかんのですよ、とドラッカーは語り続けた。
マイケル・ポーターも偉大な経営学者である。
でも、あの人って、ドラッカーと違ってどこかサイボーグみたいなところがある。
