第4回 齋藤孝さんは同級生のようだ

《連載:コミュニケーション思想の先駆者たち 第4回》

それほど熱心な読者ではないが、斎藤孝さんの書くものをぽつぽつと読んできた。

齋藤さんの書いていることは、すごくよく分かる。
ご本人には失礼な言い方だが、まるで、自分で書いたもののように分かるのだ。
もう少し穏当な表現を採るなら、同じ先生に同じ教室で習った同級生のような気がする、と言ったらいいだろうか。

齋藤さんのコミュニケーション技法の基本は「沿いつつずらす」である。

相手の発言を観察しながら、その意識が向かう方向にこちらの意識を移動させ、両者の勢いが合う頃合を見て、少しだけ方向をずらす。「ずらす」というのは、こちらの有利なところに連れ込むのではなく、その時に二人が取り組んでいるテーマをさらに先に進めるということだ。

観察し、移動するには気力と体力と柔軟な対応力が必要だし、ずらすためには相応の先見力が求められる。さらに何よりも、コミュニケーションを深めようとする意志が不可欠だ。
齋藤メソッドはこのような骨子から成っている。

インタビューという行為を考えてみると、上のメソッドは分かりやすい。

私は、有能なインタビューアーとは、相手の一番言いたいこと――本人はそれに気がついていない場合が多い――を先回りして発見し、そのスイートスポットに向けて質問を繰り出せる人のことだと思う。ただし、こういう突っ込み(ずらし)は、こちらとあちらの意識の共振(沿いつつ)が成立していないと空振りする。

沿うことはそんなに難しくない。

相手の言ったことにうなずいたり、合いの手を入れたり、相手に代わって要約してみせたり、別の言葉でさりげなく言い換えたりすれば、相互の信頼関係は格段に増す。
「あ、この人は自分の言っていることが分かっている!」
相手にこの感動が生まれたら、我と彼には、より本質的な話題の在りかも見えてくる。

ここから先は少々難しいが、思い切って「ずらし」てみる。当たれば儲けもの、一度ぐらいの失敗なら、十分回復できるはずだ。

齋藤さんの良さは、コミュニケーション理論ではなく、コミュニケーション技法の論客であること、その技法が自身の膨大なコミュニケーション体験に裏付けられていることだろう。この人は、コミュニケートすることが、たぶん三度のメシより好きなのだ。

これまでは食わずぎらいで読んでいない方には、『コミュニケーション力』(岩波新書)をお薦めしたい。齋藤ワールドがコンパクトにまとめられている。