ある情報サービス企業のトップが語ってくれた話が印象に残っている。
「戦略はざっくりでいい。むしろ日々の業務が将来への学習になるような仕組みをつくって、それを組織の中に埋め込んでおけば、社員の方が戦略を肉付けしてくれますよ」
私はその企業の企画部門の方々と新しい中期経営計画を社内に根づかせる方策を練っていた。ともすれば、この手の浸透策は言葉が上滑りするキャンペーンになりがちだから、トップと社員の直接対話に時間を割こうという方針を固めかけていたところだった。聞いていたトップは「対話」を否定しなかったが、もうひとつ考えてほしいと言って冒頭の「宿題」を私たちに残し、会議室を出ていった。
経営戦略については諸説あるが、すべての枝葉を切り落としてしまえば「適切な目的と目標を定め、それらを実現するためになすべきことの優先順位を決める」ということに尽きるだろう。どこで商売をするのか、何を売るのか、そのための手はずをいつまでにどうやって整えるのか、だ。ただし、なすべきことの範囲は広くて深いから、考えなければならないことも膨大だ。
顧客を引き付けるにはどんな価値を創り出せばいいのか、競合はどんな手でかわせばいいのか。その価値を創り出すには、いかなる事業構造をいかなる技術を核に組み立てればいいのか。いったい社内のどの経営資源が使えるのか、また社外のどの組織に協力を求めればいいのか...
近年まで、緻密な論理思考に頼ればあらゆる課題にマッチする<解>を導きだすことが可能だとされてきた。しかし、現実に立ちあってみれば、パズルのようにすべての課題に対応する戦略などないことがすぐ分かる。
成長市場を見出していても攻め込むチャネルが整わない、ダントツの技術を持ちながら競争力のある価格帯へ持ち込めない、素晴らしい営業力があっても商品が陳腐化している...戦略にはいつも「不足」が付き物なのだ。さらに言えば、市場や技術は急速に変化していくから、今日の正解が1ヶ月後にも正解である保証などどこにもない。完璧な戦略など存在しないから、企業は不足を補い、変化に対応する「間にあわせ」に奔走することになる。
ただ、「間に合わせ」という言葉を否定的に使うか、肯定的にも使うかが分かれ道だ。既定の戦略を忠実に守ってみすみすチャンスを逃すか、完璧ではないとしても現実の変化や顧客の要求に間に合わせて商機をつかむか。この違いは大きい。
また、この間に合わせ能力は最前線で求められるものであるから、現場の適用力や適応力にかかっている。まさに日々の営々たる業務が将来への学習になっていなければ社員は立ち往生するばかりである。
戦略思考のおおもとは経営資源の希少性に対する感覚ではないだろうか。ヒト、モノ、カネ、そして時間。足りないからこそ、私たちはその不足を補う何かを案出しようと脳髄を使役する。
戦略はざっくりでいい。それをじっくり具体化し、筋肉を付けていくのは、間に合わせを厭わず、しかもそこからも学ぼうとする企業文化である。
(フジサンケイビジネスアイ 2006/06/21)
