第12回 心の社会で起きていること――マーヴィン・ミンスキー

《連載:コミュニケーション思想の先駆者たち 第12回》


後にも先にもただ一度だけ、人工知能(AI)に関心を持ったことがある。

バブルは既にはじけて、世の中に祭りの後の白々とした無力感が忍び寄っていた頃だ。私は編集工学研究所というやや浮世離れした組織に参加していて、「物語」をコンピューティングするという、当時とすれば実に無謀な(しかし実に魅力的な)プロジェクトにかかわっていた。

物語とAIの関係を説明しようとすると明日の朝までかかってしまうが、一言で言えば、人間の知識生成力やコミュニケーション力の根底には物語的構想力があって、こいつを人工知能の仕組に生かせるはずだというアイデアだった。
編集工学研究所を率いる松岡正剛さんのこの着想に惹かれて、私はその事業化のシナリオづくりや関連する制作業務を担当していた。

ちょうど、マーヴィン・ミンスキーの『心の社会』(原著1986)が安西祐一郎さん(現・慶應義塾塾長)の手で翻訳されたばかりだった。

心とはどのように働くものか。
脳という物理的な存在はどこから心という非物理的なプロセスに転化するのか。ミンスキーは、心を無数の小さな部品(モジュール)の集積と見立て、このひとつひとつの部品を「エージェント」と名づけた。ある特定の作業には階層構造をなした多くのエージェントが関わっている、と。
例えば、積み木で塔を作る作業は、塔を立てる場所を選んで、積み木を重ね、塔の高さが十分かどうかを判断して作業を終了するという一連の行為だ。このうちの「重ねる」は、積み木を見つけ、手に取り、置くという行為から成り立っていて、さらに「置く」は、適切な置き場を探し、積み木をつまみ、放し、落ちないかどうかを確認するなどの行為を含んでいる。心はこれらの無数の行為・手順を「常識」としてごく自然に思い浮かべ、実行できる。
ただし、ここまでは、要素還元論の域を出ない。

ミンスキーの考え方が面白いのは、これらのエージェントが一定の法則で機械のように作動するのではなく、人間の社会のようにインタラクション(相互作用)をしながら働いていると考えたところである。例えば、積み木で上手く塔がつくれなければ、別の行為(作りかけの塔を壊す等)が代わろうと言い出す。あるエージェントがべつのエージェントと争って(交渉して)主導権を取る。
遊んでいる子どもの自己(欲望)が先にあるのではない。逆に「作る」から「壊す」への転換がその子の自己(欲望)となる。心とは、絶えざるエージェント間のインタラクションプロセスなのだ。

ただし、「心の社会」がルールなきバトルフィールドかと言えばそうではない。
記憶について、ミンスキーは、エージェントが芋づるのように連なった「K-ライン」(Knowledge Line)というものを想定している。我々がある状況に遭遇した時、それが始めて出会うものであるにもかかわらず、驚くほどスムースに対応できるのは、似た過去のK-ラインが引き出されているからだ。もちろん、K-ラインは一種類ではなく、可能性のあるものがいくつか繰り出されて、それらの間でインタラクションが起きている。

「心の社会」論は、個と個のインタラクションを心の内部に持ち込んだような格好をしている。この構造自体が、コミュニケーションは他者へのイマジネーションであることを物語っていて面白い。すべての他者は既に自分の心の中に住まっていて、我々は半自己・半他者と対話をしているのかもしれない。

心の争闘的ダイナミクスに気づいた先達にはフロイトがいるが、この憂鬱な臨床医が問題にしたのはクライアントを疲弊させている内面の葛藤だった。ミンスキーの「心の社会」でイメージされている「争闘」はもっとプラグマティックに見える。あえて言えば市場の交渉ごとだ。認知心理学は精神分析とつながりながら、まったく別のコミュニケーション思想へ展開していった。心の科学として、そのどちらが実り多いのか、その結果はまだ分かっていないけれど。