ビジネスの流儀 第11回――実力主義はどこへ行ったか

近年、ヒューマンリソース方面の一番の話題は「成果主義の功罪」である。大手企業の大半では導入済みであるというが、成功例はきわめて少ないとも聞く。むしろ、成果主義の導入が企業の革新や社員の自立を阻害し、モラルを破壊し、組織が孕むあらゆる邪悪なものを引っ張り出すという指摘がある。

団塊末席の私にとって、人の評価方法として馴染み深いのは「実力主義」である。「実力主義」にはどこか明るい緊張感があった。従来の年功主義に対抗する明快さやバイタリティがあったからだろう。若くても経験がなくても実力のある者が上に立てば良い──これは貧しかった日本が世界にキャッチアップしていくにはうってつけの考え方でもあった。

80年代末頃まで、「実力主義」は広く受け入れられていたという実感がある。それが変わり始めたのは、やはりバブルの崩壊以後のことだ。「実力主義」は、過去の実績を評価しつつ、将来の可能性も考量しようという両睨みの概念であるところに良さがあったのだが、これが曖昧さとして指摘される弱さも持ち合わせていた。

「彼は機会がなくて目を瞠るような結果は出せなかったが、いい資質を持っているのだから、大きな仕事をさせて一皮むかせようじゃないか」
成果主義が喧伝されるようになってから、こんなセリフは通用しにくくなったはずだ。将来の可能性、潜在的な能力などの計量しにくいものは自ずと後景に退き、目標と達成というきわめてシンプルな方程式だけが羽振りを利かせるようになった...

ただし、賢明な人事担当者たちは、成果主義の導入にあたり、その欠点を少しでもカバーするべく、大変な苦労をされたと聞く。ある老練な人事マンはこう語ってくれた。
「僕らは、本当に正確な評価方法があるとは思っていないですよ。どう評価するかが問題じゃなくて、誰が評価するかが問題なんだ。明日に向かって勇気づけてやれるマネジャーがいない限り、どんな人事制度も空しい」

さて、成果主義という主役の陰にはもうひとりの脇役がいたと私は考えている。「モチベーションマネジメント」というものだ。短期的で目に見える成果だけを追いかけさせれば、人は疲弊する。だからこそ、もう一方で、やや長期的な「働きがい」や金銭以外の動因に注目するモチベーションマネジメントが現れる。

短期的な成果を目いっぱい追求させながら、仕事や組織にも生きがいを感じてもらおうじゃないかという虫のいい話である。こうして成果主義とモチベーション管理は仲の良い異母兄弟のごとく同居を始めた。
この「同居」にも違和感がある。モチベーションとは内発的なものであり、その限りにおいて活力を生み出す。「働きがい」や「生きがい」などと言い出す会社は、一見ヒューマニスティックだが要注意である。個が内部から取り組むべきテーマを会社が肩代わりしたら、個は内部を失って廃墟になる。成果主義がもたらした荒廃をさらに進める結果になりかねないのだ。

かつての「実力主義」は業務能力や管理能力に加え、「〜がい」を育てる個人の内発力も含めて実力を評価するものだったのではないか。見える成果だけでなく、見えない可能性も評価する方法がもう一度求められている。

(フジサンケイビジネスアイ 2006/08/23)