2010年のW杯南アフリカ大会に向けてオシム・ジャパンが発足した。新監督は、就任直後の記者会見で「日本は経済や政治ではトップクラスだがサッカーではまだトップに程遠い」と辛口の「オシム節」を披露しつつ、「他国のチームの真似をやめて、日本人らしいサッカーをすべきである」と語った。私には代表監督の実力を測る器量などないが、ちくりと棘を刺しながら、どこかにユーモアを感じさせる老獪な言葉遣いは魅力的だ。
もし、オシム監督の下、選手や関係者が「日本人らしいサッカー」を創り直そうと決意するならとても良いことだと思う。「闘争心の欠如」を嘆く大合唱に惑わされず、これからの4年間のプログラムを冷静に考えてほしい。
ただし、真似をやめ、「日本人らしいサッカー」を模索するにあたっては、日本人の身体や感覚の特徴に立ち戻るだけでは不足であろう。当然のことながら、日本のサッカーが海外から取り入れるべきことはまだまだ多いはずで、問題はいかに学ぶかという学習の方法論ではないか。
個人も組織も自分の欠点や限界を知るには「他者」が必要である。我々は他者とつきあうことではじめて、自身の位置やレベルを理解する。「己を知る」は何かことを起こすに当たって最も肝要な起点だが、「己」は他者とのコミュニケーションを通じてしか獲得しえない。
この10年間、多くの企業でナレッジマネジメントの重要性が認知されてきた。企業の競争力の源泉は、生産手段の規模や営業員の人数ではなく、社内に蓄積された知識の質と量であるという考え方だ。この「知識経営」の第一歩は、知識の共有であるとされ、社内外の成功事例を共有し、成功要因を学ぶことが奨励された。いわゆる「ベストプラクティス」である。ナレッジマネジメント向けの情報共有システムも格好の商材として数多く紹介された。
しかし、多くの場合、輝かしいベストプラクティスは真似る対象に留まり、本当に共有されるケースは少ない。トヨタ自動車の生産システムは、トヨタが永年に亘って作り上げた緻密な産業組織の中で機能するものであって、業種・業態の異なる事業体にぽんと外挿しても動くものではない。重要なのは、真似から入っても、次のステップで真似から学びへ深め、自身の欠点や限界を知って変革へ向かうかどうか、というところにある。
よく考えれば分かることだが、他者の成功は過去の時間に属している。A社の生産管理技術、B社の商品開発システム、C社の卓抜な広告宣伝手法は、その過去の環境に適合していたのであるから、必定、現在の環境とズレてしまっている。柳の下の泥鰌は既に泳ぎ去っているだろうし、歴史が蘇ったためしはない。
マナビの語源はマネビであって、学ぶという行動は真似るから始まる。日本のサッカー界が過去3回のW杯で「真似」に終始していたとは思わないが、オシム・ジャパンがさらに深い学びの段階に突き進むことを望む。知識経営の泰斗である野中郁次郎教授が常々述べているように、ナレッジマネジメントの本質は知識共有ではなく、知識創造である。もし、日本ならではの独特のサッカースタイルを創り出すことが出来たら素晴らしい。
(フジサンケイビジネスアイ 2006/08/02)
