家電量販店には、一昨年から「亀山工場製」という貼り紙が登場した。シャープの新鋭工場である三重県・亀山工場で作られた液晶テレビを際立たせるブランド作戦である。確かにその効果はあったようで、当社の社員は店頭でこの貼り紙に感銘を受け、32インチのAQUOSを購入したという。
亀山工場は、シャープが1,500億円をかけて建設し、2004年1月に操業を開始した。「第6世代」と呼ばれる縦1,500㎜、横1800㎜のガラス基盤から32インチの液晶パネルを8枚取り出せる装置を備えている。また、用水を100%循環利用する「環境に優しい工場」でもある。
私たち生活者にとって、ブランドとはある特定の製品やサービスを他社のものと区別する助けとなる。ブランドの語源は牛や馬に付ける「焼印」だと言われるが、ブランドを象徴するロゴタイプやマークがこの役割を果たしている。肯定的に言えば、生活者にとって、ブランドはあまたある商品の中から自分の欲しいものを選別する道標であり、購買行動の効率を高めてくれるガイド役である。もちろん、一方には、ブランドが巧妙な「欲望の装置」であり、世界中に均質な消費文化を浸透させるグローバリズムの尖兵であるという意見もある。
では、逆に企業にとってブランドは何か? あるいは企業はどのようにブランドを創り出し、市場の認知や理解を獲得するのかと問いを立ててみると、ことはそれほど単純ではない。
かつてブランド戦略は、際立つ記号を好ましいイメージと一緒に生活者に刷り込むマスプロモーションに他ならなかった。広告代理店のイニシアティブで巨大な媒体予算が投入され、同時に強引な店頭占拠によって客と商品の出会いが作り出される――そんな絵に描いたようなマーケティングがつい最近まで主流だったのだ。
しかし、私たちは前世紀の終わりになって、ブランドが企業と顧客との「約束」のようなものであると気づかされた。「不祥事」が多発し、その傷口から当該企業の無定見や非常識がぼろぼろとこぼれ出す中で、美しく着飾っていたブランドが地に落ちたからだ。ブランドとはありもしないイリュージョンをかき立てることではなく、その企業と製品が顧客に間違いなく提供できる価値を示す、等身大の「約束」であることが理解されるようになった。
亀山ブランドは、工場がブランドのアイデンティティになった珍しい事例である。ここ10年間、日本でも海外でも、個々の製品ブランドからそれを統べる企業ブランドに重心が移行し、ブランドがやや抽象的になってきた。これと対照的に、亀山ブランドでは個々の製品が生まれる具体的な「場」がブランドの拠点になっている。そして生活者は、工場こそメーカーの知の結晶であり、価値の源泉だというメッセージを素直に受け取った。その背景には、90年代を通して生産の海外移転が続き、ものづくりの空洞化が懸念される中、シャープが一貫して国内生産にこだわってきたことへの共感もあったのかもしれない。
家電店で「亀山工場製」を購入した生活者は、シャープという企業の一徹さにどこかで感じ入っているのではないか。たぶん、息の長いブランドにはみな、そんなシンパシーに支えられている。
(フジサンケイビジネスアイ 2006/07/19)
