高橋みなみとリスク社会

少々旧聞に属する話ですが、AKB48の第7回総選挙で、高橋みなみ
さんのスピーチを聞きながら、感じたことを書いてみます。

第1期生の彼女が、今回の総選挙で第1位をめざすと言い切ったのは、
10年間の活動にピリオドを打ち、「卒業」を決意したからでしょう。結果
は第4位でしたが、自己最高位を勝ち取った彼女は、「とても清々しい
気持ちです」と語っていました。

ご存知ない方もいるでしょうから、予備知識を少し挿みます。

高橋みなみさん(愛称:たかみな)は2007年からAKB48のリーダーを
務め、2012年からはAKB48グループ総監督の重任を果たしてきました。
総帥・秋元康氏は、「AKB48とは高橋みなみのことである」と語ったそうで
すが、その真意は、彼女こそ「努力と競争」というAKB48の信条をもっとも
忠実に体現した者であるということでしょう。彼女は、努力が必ず報われる
ことを自身の人生をもって証明すると繰り返し述べてきた人物です。

そんなたかみなが、スピーチの中ほどで、AKB48のメンバーに向けて、こう
語りかけました。

  どうがんばったら選抜に入れるの?
  どうがんばったらテレビに出られるの?
  どうがんばったら人気が出るの? 
  みんな悩むと思うんです。
  でもね、未来は今なんです。
  今をがんばらないと未来はないんです。

これを聞いて私は、「リスクとの闘い」という少々場違いの言葉を頭に浮か
べていました。

大阪大学の神里達博さんによれば、日本で「リスク」という言葉が広く使わ
れるようになったのは、1995年頃からだそうです。なるほど確かに、この年に
は、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件だけでなく、日本社会の変調を
告げる兆しがいくつも現れました。

上里さんが明言しているように、「リスク」という概念は近代の産物です。
近代に発達した科学と技術が、それまで神様の領域だった「未来」を少し
ずつ侵略し始めた時に生まれた言葉なのです。

たとえば、遠隔地との交易が造船や航海の技術によって可能になった時点
で、商人たちの中に「リスク」への気づきが生まれました。遠い異国へ船を差
し向けるというdanger(むきだしの危険)が、確実・安全な航海の可能
性が高まるにつれて、risk(隠された危険)に姿を変えたのです。「未来」
が制御できるようになったその分だけ、「リスク」が出現したと言ってもいい。

もうお分かりですね。
「リスク」とは、制御能力の拡大が生み出す、ひとつの認識の形式なのです。
ただし重要なのは、その認識が新手の不安を伴っていたことです。むきだし
の危険は恐怖を呼び起こしますが、隠された危険は不安を醸し出します。

そしてこの不安は、20世紀になって急激に拡大し、深化します。

ウルリッヒ・ベックというドイツの社会学者は、工業社会の次に「リスク社会」
が到来したと述べています。工業社会が生み出すリスクがついにその社会
の基盤を突き崩し、人々を混乱に陥れていく。リスクの処理が一番の関心
事はになり、前向きな努力よりも、その行動が招き寄せるかもしれないリス
クの方に目が奪われるようになるというのです。

そしてあげくの果てに、社会はリスクに絡みつかれ、生来のダイナミズムを
失っていきます。

AKB48は優れたビジネスモデルを備えたプロジェクトですが、当然ながら
さまざまなリスクを内包しています。メンバーの少女たちも、その一部を背
負っています。
いくらがんばっても、選抜やテレビに選ばれないかもしれないし、人気が出
ないかもしれない。約束された未来などないし、努力の総量がある閾値を
超えれば幸運に転化するという方程式もないからです。

だからこそ――とたかみなは言うんですね。未来は今なんだ。今ここでが
んばって未来をつくるんだ、と。このセリフは、リスク=不安に押しつぶされ
そうな自分や仲間への叱咤激励ですが、それだけではありません。

回避しようとすれば増殖するリスクの特性を逆手に取って、リスクの巣で
ある未来を現在に引っぱり出そうとしています。これはおそらくリスクに向
きあうもっとも確かな方策です。「がんばる」って、そんなことなのです。

「明日=未来のために、今は(こらえて)がんばる」が古典的な達成理
論だとすれば、たかみなの「がんばる」は、今ここにおいて未来をつくり出す
という、新手の実現理論です。
一見悲壮にも見える楽天主義が、ファンのみならず、私のような門外漢
にも感銘を与えるのは、ここに理由があると思います。

スピーチの後半にさしかかるところで、彼女はこうも言いました。

  「努力が報われるとは限らない」 
  そんなの分かってます!
  でもね、私は思います。がんばってる人が報われてほしい。

草創期から全盛期のAKB48を支えたメンバーは、もうほとんど残っていま
せん。「卒業」していった僚友たちの背中をずっと見続けてきたたかみなの
中に、AKB48の汗と涙が凝縮しているのは確かです。

彼女が語り続けてきた、その「努力と競争」の物語は、熱狂的だがどこか
内閉的で自傷的な匂いがします。民主主義よりも集権主義の方に近い。
だから、危なっかしい雰囲気もある。

しかし、彼女が体現している痛切な楽天主義は、この国に不足しているも
のを鋭く指摘し、わけ知り顔の人々を痛罵しているところがあります。戦後
70年目の日本社会に染みついた「リスク感覚」の功よりは罪を、24歳の
たかみなは、半分無意識のうちに抉り出しているのです。「罪」とは、私たち
がどっぷり浸かっているニヒリズムに他なりません。

【参考文献】
★神里達博「リスクと向き合う」(『TASC MONTHLY』No.474 2015.6)
★ウルリッヒ・ベック『再帰的近代化』(ギデンス、ラッシュとの共著、1997)