恐いぐらいていねいにつくられた映画(K’s Letter 2016 No.76)

先々週、ウィークデイの黄昏時にテアトル新宿へ着いたら、チケット売り場に行列ができていました。まさかと思いましたが、案内の男性に立ち見しかありませんと言われ、すごすごと退却。4日後、109シネマズ川崎の13時10分の回で、ようやくその作品にお目にかかることができました。

『この世界の片隅に』。すでにご覧になった方も多いのではないでしょうか。原作は、こうの史代(ふみよ)さんの同名の漫画です。戦時中の広島と呉の街を舞台に、“すず”という若い女性の目から見た、自身と世界の変容が恐いぐらいていねいに、しかも節度を保って描き込まれています(監督:片渕須直)。

アニメーション映画なので、登場人物のセリフをしゃべるのは声優です。そうそうたる声優陣が脇を固める中、すずの声を演じたのは、のん。今年7月、所属事務所とのトラブルで本名を使えなくなった能年玲奈さんです。のんさんはすずにぴったり寄り添うだけでなく、すずを内側からつくりだしています。すずは作中で、のんによって生き直している印象さえあります。この女優さんはやはり只者ではありませんでした。

こうの史代さんは、以前にも『夕凪の街 桜の国』(2004)という素晴らしい作品を書いています。広島で被爆した女性とその母、兄、彼女の死後に生まれた姪という三世代の家族の物語です。こちらも佐々部清監督の手で映画化されており――団地映画の名品としても――忘れられない1本です。

野の花のようなすずの存在に注目が集まっています。たしかに戦時の暮らしの中で、彼女を含めた女性たちが、家事のすみずみに凝らす工夫には、私たちがとうに忘れた煌きがあります。

しかし、映画が描いたのはそれだけではありません。たとえばすずは絵が上手で、人物や建物や風景をさらさらと描いてしまう。彼女が、同級生の哲のために、波頭をウサギに見立てた絵を描いてやる場面があります。彼はその傑作のおかげで表彰され、大いに困惑したらしい。

このエピソードはすずのあり方をよく表しています。外界の対象を巧みに描く技にかまけて、物事の本質を見つめずにすましている節がある。すずは、自分の絵が哲に及ぼした影響にも、彼のすずに対する気持ちにも気づくことがありませんでした。おそらくそれこそが、彼女の愛らしいぼんやりと無頓着の本質なのです。
 
ゆえに物語の後半、彼女が絵を描けないようになってはじめて、何か別の「内心」が動き出します。そのプロセスは敗戦へのプロセスに重なっているのでやや見えにくいのですが、それまでの無垢なだけの少女(妻)を変貌させ、穏やかながら憤る女性への転身を促していく。
終戦詔勅をラジオで聴くシーンは印象的です。彼女は初めて、あまりの理不尽さに怒りを爆発させるのです。

中盤までの、夢のような海や山、質朴な家族の暮らしを背景に、緩やかに歩き語り思う、情感に満ちた少女の形象はまことに得がたいものです。でも後半の、傷心から回復し覚醒していく彼女の姿は、さらに印象深い。原爆の落ちた広島から孤児を連れて呉に帰るすずは少女のような妻から別の何者かに変成しています。観客は、彼女が夫とその子どもとともに戦後を強く生き抜いたであろうことをここに至って確信します。

“この世界の片隅に”生きたすずの姿は、70年を超える戦後の時間の前に、「戦争」という特殊な出来事があったことを思い起こさせる力を持っています。それは、犠牲を払って戦時を生きた人々の、戦後への問いかけでもあります。私は近いうちにもう一度見にいこうと思っています。
            
今年1年、ご高覧いただきありがとうございました。
2017年が、皆様にとってより良い年になることを祈念しております。
(2016年12月20日 菊地史彦)