彼らがやってきた年(K’s Letter 2016 No.75)

今から50年前、ザ・ビートルズが東京にやってきました。1962年にデビューした彼らは、瞬くうちに英米のヒットチャートを駆け上がり、トップを独占し、全世界を席捲し、そしてこの極東の国にやってくることになったのです。(てなことは今さら説明の必要もありませんね…)

1966年の来日当時、私は東京都練馬区の中学2年生。昼休みの校内放送で「ペイパーバック・ライター」を言い当てる程度の知識はありましたが、東京公演の抽選ハガキを出す根性はありませんでした。その時期はちょうど期末テストの最中だったのです。なんとも情けないハナシですが。

1964 年のアメリカ公演を皮切りに、65年までビートルズが訪れた国は11カ国(アメリカは3回)。この間イギリスでは、5回のコンサート・ツアーが行われました。遥々日本へやってきた彼らが、コンサート自体に少々うんざりしていたことは確かでしょう。

東京公演50周年の6月末から7月初旬に、何本かのドキュメンタリーや音楽番組が放送され、当時の『ミュージック・ライフ』編集長、星加ルミ子さんや、音楽評論家の湯川れい子さんが回顧談を披露していました。

星加さんは、正式に取材を申し込んでいたので、着物姿で東京ヒルトンホテルに乗り込み、談話と写真を確保しました(単独取材だったらしい)。一方、湯川さんはつてが得られず、彼らが関心を示していた会場警備員用の腕章をお土産に持って、ホテルに忍び込んだそうです。

湯川さんの話で興味深かったのは、彼女に対する4人の対応です。終始リーダーシップを取っていたのはポール。リンゴとジョージは、適当に相手をしてくれたらしい。ただジョンだけは会話に加わらず、しかもずっと様子をうかがっていた。湯川さんの持参した腕章をつけてはしゃいでいる他のメンバーの中で、ジョンだけが腕組みをして黙りこくっていたそうです。

ジョンはたまたま機嫌が悪かったのかもしれない。でも私は、彼がコンサート・ツアーに飽きていただけでなく、ザ・ビートルズを取り巻くこの「世界」に違和感や嫌悪感を抱き始めていたのではないかと感じます。

1966年の春、ジョンはイギリスの雑誌のインタビューでうっかり「ビートルズはキリストより有名だ」と発言し、これがアメリカの雑誌に転載された結果、南部の州を中心にビートルズ排撃運動が起きていました。
いわば、彼らの影響力が音楽の領域を越え始めたことの証ですが、ジョンは衝撃を受け、自分たちのあり方にも疑念を向けます。このあたりから、彼らの「後期」への転換が始まっていたのです。

東京公演の曲目は、「ロックンロール・ミュージック」、「シーズ・ア・ウーマン」、「恋をするなら」、「デイ・トリッパー」、「ベイビーズ・イン・ブラック」、「アイ・フィール・ファイン」、「イエスタデイ」、「彼氏になりたい」、「ひとりぼっちのあいつ」、「ペイパーバック・ライター」、「アイム・ダウン」の11曲。
この中には、「前期」の大ヒット曲、「抱きしめたい」も「シー・ラブズ・ユー」も「ハードデイズ・ナイト」も含まれていません。これも彼らのメッセージでしょう。

そして日本公演の約1カ月後に発表されたのが、『リヴォルバー』です。私は、前年の『ラバー・ソウル』から、この『リヴォルバー』を経て、1967年の『サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド』へ至る、とんでもない「進化」に今でも戦慄のようなものを覚えます。

1960年代という時代が、その「本質」にぐんぐん覚醒していくプロセスを、ビートルズはアルバムを重ねながら顕現させていきました。こんな風に世界観を書きかえていく音楽をつくり出せたのは、彼らだけなのです。

『リヴォルバー』の曲は、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」のような従来型のロックから、「チベットの死者の書」に題材を得た「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のような瞑想ソングまで、テーマにもスタイルにも多様な要素が混在しています。
しかもどの曲も表出している意味がひとつではありません。たとえばラブソングのようでありながら、意識が此処にも彼処にも浮遊し、宇宙に遍在・拡張していく様子が歌われる「ヒア・ゼア・アンド・エブリホェア」。あらゆる要素が意味を取り換えながら、ひとつの終局へ向かって流れを形成していくような終末感が、このアルバムから始まっています。

東京へやってきたビートルズは、すでに3カ月かけて『リヴォルバー』を完成させていました。彼らは、「後期」へ足を踏み入れていたのです。
メンバーの中でいちばん勘の鋭かったのは、ジョンでしょう。彼の不機嫌は、「世間」の攻撃に対する防衛心理だけでなく、新しいものに取り組み始めた創作家に特有の渋面でもあったように思います。

1966年8月29日、サンフランシスコ、キャンドルスティック・パークでのコンサートで、ビートルズの公演活動は終了します。でもここから、彼らの第二の冒険が始まります。
世界を別の見方で捉える言葉と旋律の開拓という第一の冒険をさらに進め、世界自体の成り立ちを解き明かすような音楽を探し始めたのです。もちろんとんでもない企てでしたが、彼らには叶えられそうでした。また、そうした挑戦にリアリティを与えていたのが1960年代でした。1966年の東京は、その魔法的神秘旅行の直前に位置していたのです。

付記:ビートルズのマネジャーを務めていたブライアン・エプスタインについて記せば、ビジネスパーソン中心にお送りしているこのメルマガらしくなるのですがタイムアップ。この話柄は次回あたりで書きます。
(2016年8月16日 菊地史彦)