ロニー・ベネットの長い待機(K’s Letter 2017 No.77)

7月某日、仕事仲間のTさんと雑談を交わしていたら、つい洋楽の昔話になりました。彼が最初に衝撃を受けたのは、1963年のヒット曲、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」だったそうです。イントロでドラムがドンドドン、ドンドドンと刻む、あの曲ですね。

若い方もどこかで、聞いたことがあるでしょう? “The night we met I knew I needed you so And if I had the chance I’d never let you go”という歌い出しを、日本では、伊東ゆかりや弘田三枝子が、「忘れられない瞳 離れられないその魅力」とやっていました。訳詞はもちろん、カヴァー曲を一手に引き受けていた漣(さざなみ)健児です。

Tさんとおしゃべりをするうちに、急にロネッツが聴きたくなり、まずはベスト盤を買ってみたらみごとにはまりました。リードヴォーカルのロニー(ヴェロニカ)・ベネットの声は(いまさらながら)キュートです。併せてびっくりしたのは、You Tubeの半世紀前のライブ映像。観客の熱狂ぶりも、彼女たちの歌って踊ってのパフォーマンスも飽きることがない。ロニーの脇には、姉のエステルといとこのネドラ・タリー。当時、山のようにいた黒人女性コーラスグループの典型的なスタイルです。

「ビー・マイ・ベイビー」は、1960年代の大ヒット曲であるばかりでなく、ポップス/ロックの歴史における記念碑的な作品です。フィル・スペクターという少々変わり者のプロデューサーが開発した、多重録音による「ウォール・オブ・サウンド」(音の壁)の最初の成功例なのです。

フィル・スペクターは、1964年にビートルズが米国に上陸するまで、60年代初頭のアメリカンポップスの中心にいた人物です。ヒット曲は星の数ほどあり、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンのように彼の音楽に深い感銘を受けたミュージシャンも少なくありません。ジョン・レノンもジョージ・ハリスンも、ビートルズ解散後にフィル・スペクターにプロデュースを依頼しています。

日本にもフィル・スペクターに強く憧れた人がいます。2013年に亡くなった大瀧詠一さんです。遺著『大瀧詠一 WRITING & TALKING』にも、フィル・スペクター論が何本か入っています。改めて900ページを超す大著を開いてみると、巻末近くに朝妻一郎さんとのマニアックなフィル・スペクター対談が載っていました。読み進んでいくと、「ビー・マイ・ベイビー」に関するちょっといい話が出てきます。岩手県釜石の中学時代のこと。彼にそのレコードを買ったことをわざわざ報告しにきたクラスメートがいたそうです。

で、いまだに忘れられないのは、「え、何でこんな人がこれを買うのか」っていうまじめな女の子がいたんだよ。口もきいたことないんだよ、1回も。そのときに、最後の卒業間際に「わたし、これ買ったの」ってわざわざ報告しに来たんだよね。

大瀧さんは、ずっとその行動の意味を考え続け、彼女が大瀧少年の行く末の姿を示していたのではないか、と思い当たるのです。

それを個人的にね、後にスペクター・サウンドも知って、自分のサウンドのお手本になるっていうのは、そのころは分かんなかったわけですからね、中学3年のときは。だから今にして思えばね、「これがあなたの将来。これをモデルにしてつくるのよ」というような意味のことを、先にその人に言われてたのかもしれない。リチャード・マシスンの『ある日どこかで』みたいに、組み込まれていたストーリーだったのかって。

おそるべき思い込みですが、人生にはこんなセルフ・ストーリー・メーキングも必要でしょう。なんで自分が生きてるのかなんて誰にも分からない。後世に名を残すような人だって、自らの生の意味をつかんでいるわけではない。水前寺清子はかつて、「幸せは歩いてこない」と歌いました。人生の意味も同様でしょう。私たちは何かの兆しを察したら、こちらから“それ”を読み取りにいかなければならないのです。

ロネッツは、ビートルズを筆頭とする「ブリティッシュ・インヴェイジョン」にやられて1966年に解散。ロニーは、フィル・スペクターと結婚するものの5年後に離婚。変人亭主のDV的な監禁行動や著作権料の不払いなどが原因だったようです。もちろん、彼女はステージへ戻り、歌を続けました。

そして幾星霜。2007年、ロネッツはようやくロックの殿堂入りを果たします。すっかり遅れたのは、殿堂の理事だったフィル・スペクターの意地悪が原因だったとか。

セレモニーでは、くわえ煙草のキース・リチャードがプレゼンターをつとめました(このときの一連の動画もYou Tubeにアップされています)。ロニーは、「ずいぶん長いこと、この時を待ってたわ」と言ってから、少々長すぎるスピーチをぶちかまして会場を白けさせます。体調の悪そうなエステルは一言だけ。締めで恰幅のいいネドラが、まるでハリウッド・スターのようなスピーチをやってくれたので、どうやら格好がつきました。

しかし歌になると、ロニーはみごとに爆発します。「ベイビー・アイ・ラブ・ユー」と「ウォーキング・イン・ザ・レイン」、最後にもちろん「ビー・マイ・ベイビー」を歌い切った彼女のようすは、一時たりとも自分の生きる意味を疑ったことのない堂々たるものでした。

ちなみに2003年、妻を射殺した容疑で逮捕されたフィル・スペクターには、2009年、有罪の判決が下され、いまだに服役中です。彼が自身の人生の意味をどんなふうに考えているのかは、伝わってきていないようです。
(2017年8月20日 菊地史彦)

出典:『大瀧詠一 WRITING & TALKING』(白夜書房、2015)