スイスへの手紙

スイス公文学園高等部校長
渡邉 博司 様

このたびは、ご高著をお送りいただき、まことにありがとうございました。
『英語で学べば世界が見えてくる』という書名は、渡邉先生がこの四半世紀、つねに持ち続けてこられた信念だったのですね。また副題の「スイス公文学園高等部の英語」は、その信念が卒業生たちの活躍を通して具現化したことへの自信を表しているようです。

英語にも教育にも素人の私が、ご労作について感想めいたものを述べさせていただくことをどうぞご容赦ください。

スイス公文学園高等部(KLAS)を知ったのは、そんなに古いことではありません。公文国際学園は、私の自宅に比較的近いこともあり、開校当時から名前を聞いていましたが、スイスにある姉妹校の存在を知ったのはずっとあとになってからです。

ご縁があって、貴校のお手伝いをするようになり、スイス、レザンの町を訪れたのは、2010年のことでした。それ以前から、日本で何人かの卒業生にお会いし、彼らの一種独特な「存在感」に圧倒されていましたが、じっさいに学校を訪れ、現役の生徒たちが生きて学んでいるようすを見て、彼らの急速な成長の「秘密」が少しだけ分かったような気がしたものです。

日本の中学を卒業したそれほど特殊ではない少年少女たちが、3年間の高校生活を経て、ほんとうに見違えるような成長を遂げる――そのさまを、私は「KLASのマジック」と呼ぶことにしました。
かのホグワーツの学校は魔法を学ぶところですが、KLASはある種の魔法によって、15歳の子どもたちを(ごく自然に)自信と希望と知力を備えた若者に変貌させてしまう学校のように思えたからです。

渡邉先生のご本は、そのマジックの仕組みについて、英語教育を中心に、平易かつ緻密に論じています。一つひとつの要素へ分解していけば、けっして特別なものも奇矯なこともありません。しかしその一つひとつが、理念ではなく現実のカリキュラムとして、日々の教育の中で実行されていることを考えると、これはやはり驚くべきことではありませんか。

ご本のなかには、印象的な授業のもようが紹介されています。たとえばひとつは、KLAS教育の白眉とも言えるWatson先生のEnglish Literature。もうひとつは、これもKLASならではのPichette先生のGlobal Issues。

Watson先生の教材は、Elie Wieselの『Night』(1960)。著者自身のアウシュビッツ体験を描いた作品を読ませた上で、父を助けるか自分が生き延びるかという「窮極的な場面」の「答えの出ない選択」を考えさせる。

Global Issuesは、途上国の教育、貧困、児童労働、フェア・トレード、戦争と平和、水問題と健康などについて、グループワークを行い、生徒自身が教師として授業を行う科目ですね。こちらも単一の正解などありません。

もちろんこれらの授業は――生徒どうしのディスカッションも含め――すべて英語で行われるので、彼らは英語という思考と表現のツールを使って、困難な問題にぶつかり、もがくことを繰り返し求められます。こうした上級生向けの科目は、contents courseと呼ばれ、“英語を使う”ことを通して、英語力の飛躍的な伸張をうながす方法と述べられています。

異論はありませんが、もし一言つけ加えさせていただくなら、Watson先生やPichette先生の授業のもう一つの特徴は、生徒たちに、彼らが直面する「世界」への、一通りではない「幅」のある態度や判断を求めているところではないでしょうか。

「世界」には、態度や判断を安易には決定しがたいことが数多くあるという認識を、私はとても重要だと思っています。陽があれば陰があり、良かれの判断はときに意図せざる悪しき影響を随伴する。すなわち正の裏側にはえてして悪も潜むという苦い認識です。

しかしこうした「両義性」(ambiguity)の認識こそ、独善的な自己中心主義を解毒する、きわめて有効な方法ではないでしょうか。
ヨーロッパの知的水脈には、カトリックとプロテスタントの間に立ち、『痴愚神礼讃』(1511)を書いたエラスムスのような人文主義者がいました。おそらくその水脈は、20世紀のメルロ=ポンティやレヴィ=ストロースへ、さらに山口昌男の『文化と両義性』(1975)へ流れ込んでいると思われます。

余談はさておき、KLASの教育は、むろん英語だけにとどまるものではありませんね。風光明美とはいえ、アルプス山腹の地の果て(失礼!)に連れ込まれ、3年間の寮生活でrespect others(他者を尊重せよ)を叩きこまれる一方、ヨーロッパ全域へのツアーや過酷なボランティアまで体験するという超多忙なスクールライフを通して、生徒たちはめきめき逞しくなっていくのでしょう。

卒業するとき、彼らは「世界のどこかでまた会おう」と言い合うと聞きました。じっさいに会ってみて、ああ、この子たちなら自然にそんな言葉が口から出るだろうなと感じたものです。
貴校のますますのご発展と渡邉先生のご健康を祈念します。

【参考文献】
渡邉博司『英語で学べば世界が見えてくる――スイス公文学園高等部の英
語』(2015、くもん出版)
大西順子『スイスの山の上にユニークな高校がある――スイス公文学園高等
部の秘密』(2010、くもん出版)